日本に議会制度を導入しようと言う動きは、1867年頃に始まった。今日のような議員内閣制は1879年に福沢諭吉が保守の主義・・・・・に、その一部を引用した『民情一新』において提唱されたのが初めてだそうだ。
この『民情一新』の特徴は世界的な視野にたって1870年代のヨーロッパで起きている帝政と社会主義革命の流血を伴った衝突や戦いを念頭において書かれている。流血を伴った悲惨な争いを避けて進歩・発展するためには、日本はイギリス流の政権交代を伴う二大政党制を導入するべきであると明確に主張している。
しかし、1889年にできた大日本帝国憲法は議員内閣制を制度化しませんでした。首相は天皇が任命することとなっており、藩閥政治家が多く選ばれたと記してあります。しかし、政党の総裁を任命したり、二つの政党の総裁を交互に任命することも不可能ではなかったようです。
その後の自由民権運動、大正デモクラシー等により政党や国民の努力によって1924年から32年にかけて二大政党制が事実上実現しました。
戦後の日本国憲法では、議院内閣制が定められていますが福沢諭吉が主張していた二大政党制は、憲法には条文化されておりません。だから国民が「保守の主義」(自民党)だけを選び続けることは現憲法では矛盾しないわけです。
しかし、選挙制度が小選挙区制に変わったことによって真の意味での二大政党制と政権交代が現実味を帯びてきました。『保守の主義』(自民党)か明日への希望の『進取の主義』(民主党)か?が可能になってきました。

