中国の春秋戦国の時代、越王勾践と呉王夫差の争いの際に越王勾践の参謀の戦略により呉王夫差の女となる。その結果夫差は骨抜きになり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになった。
松尾芭蕉が『奥の細道』で象形や雨に西施がねふの花≠ニ詠んだのは有名な話である。楚腰繊細にして掌中に軽し≠ニは西施の姿を表わした言葉としても有名な言葉である。私の理想の女性である。
この西施には胸が痛む持病があったという。 ある日、その発作が起きた。彼女が胸元を押さえ眉間にしわを寄せた姿にはなんともなまめかしく、か弱い女性の美しさがにじみ出ていたという。彼女が里から歩いてくるその様子に、里の人達は全員が釘付けになった。
ある里に一人の醜い女がいた。この西施の胸元を押さえ、眉をひそめた様子に沢山の人が釘付けになっているのを見た女は西施のまねをして、胸元を押さえ、眉をひそめて村を行ったりきたりした。
この醜い女が大げさにふるまうと、ただでさえ醜い顔がもっとひどくなった。そのため、この女の奇怪な様子を見ると里の人々はすぐに戸を閉めるようになった。
このことが『顰に倣う(ひそみにならう)』、むやみに人の真似をするのは愚かなことと言う故事になったと言われている。『顰に倣う』ような政治ではなく、菊地文博ならではの政治理念、政治活動をしていきたい。

