中国の故事によれば邯鄲(かんたん)の夢≠フ話しがある。『人間一生の栄枯盛衰は、一場の夢にしかすぎない』という意味である。
唐の時代「開元元年」、盧生(ろせい)という学生が『邯鄲』の町で一夜の宿をとった。その宿で道士呂翁(どうしりょうこう)の枕を借りて眠りについた。ものすごい金持ちになって一生の栄華を誇ったが夢であった。目覚めたらもとの木阿弥の貧乏学生に戻っていた。
この夢の時間はわずかに宿の女中が黄梁(こうりょう)※粟≠フ飯を炊く短い時間だったという話しである。
この物語は人生のむなしさや浮世のはかないことの例えにもなっている。あの豊臣秀吉も辞世の句としてつゆと落ち つゆと消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢と歌を残している。しかし夢を語れるような政治家でいたい。

