浦賀水道にペリー提督の率いる黒船が現れたのは、今から155年前の1853年の夏である。それから10年後には、徳川家茂(14代将軍)が京都に赴き、没後最後の将軍となった徳川慶喜が京都御所で公武合体等の話し合いが行われるようになる。これから1868年までの5年間が本当の意味での幕末維新と言われる日本の改革期である。
それから145年が過ぎた。今私達の社会は、この当時と同じような状況にあるのではないだろうか。市内の後援者の方々へ挨拶廻りで懇談させて頂くと、どうしてもそう感じてしまうのはなぜだろうか。
バブル景気の崩壊に揺らぎながらも、経済大国の幻影に、私達はまだ酔いしれているのではないだろうか。バブル崩壊後、黒船的衝撃を与えたのは1998年の金融危機であったことは間違いないと思われる。そして、当時の小渕総理は金融・労働・会社法等を劇的な形で改革をさせ、グローバル化への針路の舵を大きく切った。
しかし、急激な路線はなかなか理解されにくい。前宮城県知事の浅野史郎氏もそうである、情報公開路線は間違ってはいない。しかし、これも当時の井伊大老と同じように思われる。つまり急激な変革は、すぐにはなかなか受け入れられない。井伊大老はその後、2年弱で桜田門外の変で逝去する。その後しばらくは幕府の官僚たちの統制強化が続く。
しかし、その様な従来型の政権では、時代の流れに対応出来ない状況に至ってしまう。度重なる外国とのトラブル、長州出兵の失敗等、幕府官僚の無能無力が分かり、江戸幕府300年体制の中ですっかり機能を失っていることを露呈し、庶民は武家社会がすっかり信じられなくなってしまった・・・・・。
日本を再生させた明治維新とは何だったのだろうか?それは封建的身分社会を廃して近代工業社会を創る改革のことであった。開国・階級身分の廃止・廃藩置県・新しい通貨制度・殖産興業・富国強兵まさに大改革であった。
この国の全てが古くなたという認識になって取り組むことが「維新」であった。今こそその気慨(きがい)を忘れないようにしたい。
posted by きくちふみひろ at 00:00|
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