朝から冷たい雨が降りだしてきた。今日は、この地域の小学校の学芸会や榴岡市民センターまつりが行われている。その後、議員になるときに大変お世話を頂いた原町の安附家の葬儀に顔を出して事務所で一息ついた。無心でどっしり構えてにらみを利かす、そんな姿勢で臨みたいし、常にそんな心境を大事にしたい。
この“木鶏に似たり”の古事は、達生の「荘子」の中に出てくる。「見たところは、木でつくった鶏のようだが無心で相対していることが敵に打ち勝つ最上の姿勢である」とのたとえである。
昔、紀省子(きせいし)という闘鶏の名人がいた。ある時王から一羽の鳥の訓練が命ぜられ、再三催促された後に、その鶏を提出した。「もういいでしょう」「この鶏はそばで他の鶏がどんなに挑戦・挑発してきても動じません。見たところ木の鶏の様です」「しかし、一度戦えばこれにかなう鶏はいないでしょう」といった話から始まる話であるが、常に無心で泰然とありたいものだとつくづく感じる。

