スポーツ大会でよく「平常心」という言葉を口にしたり、挨拶の中で使われるが、意味合いが違うように使われることが少なくない。
平常心とは「いつもと同じ心持ちで」ということではない。本来は禅の世界での言葉で「負けたらどうしよう」などといった心にとらわれることなく、そういった邪念をなくすことを指すようだ。だからこそプレッシャーを感じないのではなく、プレッシャーを受けとめ、その上で勝負にのめりこんでいる状態こそが本来の意味の平常心なのだ。
教育問題などで最近感じるのは、「育てる」という名の下で手助けしすぎではないかという疑問でる。あるスポーツ解説者が、「空中ブランコですぐ下に安全ネットを張っているような社会だ」と言っていた。私もつくずくそう思う。
緊張や恐怖を感じることなく、いつも誰かに手を差しのべられて育った人間が、プレッシャーに耐え、立ち向かっていけるようになるとは到底思えない。 本当に人を育てるならば、時に突き放し壁を自分で乗り越えさせる必要があるのではないだろうか。
日本選手が世界で戦う。成果を残す、そのためにはそういった裾野を広げることが必要だと思う。午後からは夏祭りに向かった。

