2007年01月11日

時代を読む(2007年 1月11日)

 2007年にトヨタ自動車は連結ベースで対前年比4%増の942万台の世界生産を計画している。2006年に918万台の生産を見込む米のゼネラルモーターズ(GM)の台数の伸びが2.6%以下に収まれば、トヨタ自動車の念願、悲願の世界一の座をつかむことが出来る。

 GMやフォード自動車は以前に経営危機に陥った。しかし、今北米自動車業界を再び再編の大波が襲っている、つまりM&Aが急速に進められている。自動車業界の連携は、昨年末に動き始めたトヨタとフォードとの交渉が進み、破談となったGMと仏ルノー、そして日産自動車の三社連携の提携話しなど、その一端でしかない。こうした自動車産業内の再編と同時に進んでいるのが、技術革新の進む異業種とのタッグだそうだ。

 例えば、日産はNECとリチウムイオン電池の開発生産販売を手掛ける、新会社を設立すべく交渉が進められている。リチウムイオン電池は次世代ハイブリット車に必須の技術だそうだ。従来の2次電池に比べると、小さい容積で沢山の電気を蓄えられることが出来る。ハイブリット車の燃費を引き上げたり、また電気自動車の走行距離を延長させることが出来る。トヨタは松下電器産業と合併会社を設立しリチウムイオン電池の開発を進めている。

 NECグループは高級車「レクサス」のLSに搭載した、歩行者を発見して自動でブレーキをかける安全装備の画像処理用チップを共同で開発した。

 こうした異業種の参入により新たな成長産業が生まれつつある。宮城県は産業経済部を解体して、従来の1、2、3次産業別の体制に変えた。時代が読めていないとしか思えない感じがする。時流に乗り遅れないように監視をしていきたい。
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2007年01月10日

日本の分岐点(2007年 1月10日)

 為替相場が1$120円を突破しそうな雰囲気である。今後の日本の将来を考えるとその変動の意味は大きい。

 ライブドア前社長の堀江氏が「(今の状況は)日本経済のエスタブリッシュメント層からの復讐だ」とあるマスコミインタビューに答えていた。

 インターネット企業創業者として、時代の申し子と絶頂期を極めていた頃は大胆な市場操作や企業買収で国民的な英雄の時代もあった。 しかし、財界などからは「今に必ず失敗するから」などと嫌悪感を抱かれていたのも事実である。

 「自らの転落は全て体制が悪い。そのせいだ」と懲役刑を免れようと戦っている。 しかし、彼の主張も勝手すぎるような感じもするが、彼の言い分にも一理あるような感じもする。法律違反で糾弾される前から財界のエリート達からは異端扱いされていた。

 彼らにとっては堀江氏の罪は既得権者と体制に挑戦状を叩きつけたことにある。 生意気な言動だけにとどまらず、大胆な市場操作や企業買収等既存の秩序を脅かすものだった。

 しかし、私の言いたいのは既存秩序の変革こそまさに今の日本にも地方にとっても大変必要なことだということである。 10年にわたるデフレに強いられた経済改革にもかかわらず、従来のやり方への固執は絶ち難い部分もあり、仲良しクラブ的な保守層は変える気がない状況をどう考えるかである。

 そこを政治が断固たる態度で臨めるかどうかにかかっている。 私自身も思うことだが新しい力が生かされ、新たな勢力が既存秩序に自由に挑戦できる環境をつくることが必要である。 それが出来るか、出来ないかが日本の成長が可能か可能でないかの分岐点になるのではないだろうか。日本の限界と思いたくない。
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2007年01月09日

三文の徳(2007年 1月 9日)

 今朝午前4時に起床。5時からの早起き会に出席。母からの年賀状の話しをする。そして6時、先月頃までは6時になっても暗かったが、少し白みがかって来ている。寒さは身にしみるが少しづつ春に向かっているような実感を覚える。

 禍福無門♂ミ福(かふく)は門無く唯人の招くところなり、つまり禍の門とか、福の門というものは無いという意味である。
 すべて、本人自身が招いているのであって幸福も不幸も本人次第だという例えである。

 カール・ブッセの詩を思い出す。『山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう、あぁ我人ととめ行きて、涙さしぐみ帰り来ぬ、山のあなたのなお遠く、幸い住むと人のいう』(上田敏さん訳)

 この詩も禍福無門と一脈相通じているような感じがする。幸も不幸も他人のせいではなく自分の責任である。だからこそ、幸せということ自体を問題にせず日々努力が必要であるが、白みかける東の空を眺めながら一時のなんともいえぬ幸福感を味わうことが出来た。朝起きは三文の徳かもしれない。
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2007年01月08日

鶏口となる気概を持つことが必要!(2007年 1月 8日)

 地方統一選が近づくにつれて、首長にすり寄ったり、寄らば大樹の言動が目立ってくるものだ。それで果たして良いものだろうか?疑問に思う毎日だ。

 20年間も地方議員をやってきた大先輩議員が・・・・・・・。大変残念なことだ。
 寧(むし)ろ鶏口と為るとも、牛後と為る勿れ
いっそのこと鶏の口となっても、牛の尻尾となってはならないとの意味。この言葉を思い出す。

 大きな国の臣下となるよりは、小さな国でも一国一城の主となったほうが良いということで(人それぞれ色々な考え方があるが)中国の春秋戦国時代の論客で合従策を唱えた蘇秦(そしん)が大国 秦に対抗する為、6ヶ国が縦に同盟するべきだと主張し諸侯を遊説していた時に引用したことわざである。

 転じて大きな者の尻にくっつくよりは、小さくともその頭となったほうが良いという考えだ。なるほど、そういった気概が今の馴れ合い地方議会に必要である。
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2007年01月07日

デジタル化でも(2007年 1月 7日)

 デジタル社会と言われても80%の人が「年賀状は必要」とのことである。

 私のところにも約1.000通程の年賀状を頂く。この年末年始にかけて日本中を大量の年賀状が駆け巡ったことと思う。 しかし、一方では電子メールの発達で一時は、年賀状も消えていくのではないかと心配されたが、枚数の減少傾向にあるとはいうものの年賀状を通した音信の機会はなくしたくないとの圧倒的な意見である。

 ある統計によると『年賀状は必要か』とのアンケート調査をしたところ、『必要』が35.1%、『どちらかといえば必要』が44.2%で合計すると約80%になる。それに対して『不要』は5.8%、『どちらかといえば不要』が14.2%であり、年賀状への日本人の根強いこだわりと支持が明らかなことがわかる。
 
 『必要』と回答した方々の理由として「知人との音信が維持できるから」が圧倒的に多く「もらうと嬉しいから」など年賀状を礼儀的なものではなく、コミュニケーションを維持するための手段として考えているようだ。

 極めつけの意見としては「デジタル化が進む社会で、元旦に年賀状が届くのを待つという伝統は守っていくべきだ」という30歳の男性の声もあった。

 しかし、一部では「そんな礼儀的なものはやめるべきだ」という声もあり、皆さんはいかがお考えでしょうか?

 私としてはやはり手書きで頂いた年賀状などは特に時代を超えた人と人との暖かみを感じる。続けていけたらと思っている。
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2007年01月06日

環境の変化(2007年 1月 6日)

 暦の上では小寒。寒の入りであるが低気圧の北上で土砂降りの雨である。季節外れの大雨で仙台の風物詩『出初式』も異例の市役所庁舎内の行事となった。

 直ちに天候異変と地球温暖化に結びつけることは慎重でないといけないが、ひょっとすると世界の自然界の秩序が大きく変動しつつあるのではないかと、そんな予感がしないでもない。
 
 06年は振り返ると梅雨時の度重なる集中豪雨で西日本に大きな被害がでた。また、秋の台風並みの低気圧の被害。そして、今日の暖冬による大雨。
 
 勾当台公園の銀杏が光のページェントのイベントが始まっても落葉していない。また、暮れに東京に陳情した折にも表参道の銀杏の木々が半分だけ色づき、まだまだ青々してる状況に、こうしたことが過去にあったのかどうか私にはどうも記憶にない。

 世界的に見ても昨年の5月以降、米国を超大型のハリケーンが何度も襲った。隣の中国では記録的な熱波により農作物に大きな被害がでた。南半球のオーストラリアでは、秋に歴史的な大干ばつが発生。

 大規模な環境変化は生態系を変化させ、食の確保を困難にさせるばかりではなく、鳥インフルエンザやノロウィルス等の伝染病を拡大させかねない。大規模な環境変化の前触れなのか、一人ひとりが意識をもって一体となって取り組むことが求められるのではないだろうか。
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2007年01月05日

真価(2007年 1月 5日)

 今日も宮城野八幡神社の新年祈願祭をかわきりに各種団体や地域の諸行事に参加させて頂いた。 特に宮城野八幡神社は秘書時代も含め、選挙のたびに出陣式の必勝祈願をさせて頂く。私にとっては縁の深い神社でもある。今年も平穏であるようにとお祈りを申し上げる。
 
 暮らし重視の政策が必要だと痛感する。医療年金、税制、そして雇用、市民生活に負担が重くのしかかってきているようだ。地域懇談会での会話は不満と不安に溢れているのが現実だ。
 
 確かに大企業等の利益を上げている企業に減税が行われる一方で、生活保護費の削減、高齢者障害者への医療費等の負担の増加。サラリーマンを直撃する定率減税の廃止など暮らしをめぐる環境は厳しい。

 また、ここに来て労働条件の正社員とパート、派遣労働者の格差も問題になってきているし、北海道の夕張市に象徴されるように富める都市部と疲弊する地方といったような形で格差社会がマスコミを通じて連日報道されている。 これから私自身どう動くべきなのか 嗅覚を働かせ人々の暮らしの感覚を嗅ぎ取り、今後の設計図を描くのが政治だと思っている。時代の閉塞状況を打ち破る答えを出していかなければならない、真価が問われる。気を引き締めて取り組んで生きたい。 八幡様にそう誓った。
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2007年01月04日

年賀状(2007年 1月 4日)

 母からの年賀状が届く、「年の初めにあたり、初心に返って謙虚な気持ちで頑張って下さい。体に気をつけて!」と書いてある。
 今月で72歳を迎える。5年前に脳腫瘍で13時間の大手術をしたが、運良く悪性ではなかったので元気に生活している。

 足の膝に水が溜まる程度で正座は出来ないが、日常生活には支障がない。そんな老いた母であるが不肖の息子が気になるようである。親孝行をしなければならないのだが逆に心配をかけてしまっているようだ。いつまでたっても親と子の関係は変わりがないようだ。ありがたいことである。

 頂いた年賀状を丁寧に読み返しながら、「ご無沙汰しているなぁ」「仲人をした若い二人の子供ももう6年生になったのか、早いなぁ〜」そんな独り言を言いながら見ているうちに、今日はいつの間にか夜が更けてしまった。

 いけない!明日は5時起だ! そろそろ皆さんもお正月気分から通常の生活に戻る頃である。しかし、私達政治家には家族団らんというのはなかなか難しい。人生いろいろ、生活もいろいろである。

 
 
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2007年01月03日

選挙の年(2007年 1月 3日)

 元旦、二日に続き、穏やかな天気になった。小田原八幡神社にお参りし、新年祈願祭に出席。

 この小田原八幡神社の社務所も、区画整理の関係もあり、いつの間にかビルの谷間になってしまった。時の流れを感じる。また、私の故郷とも言うべき新田学区の新年祝賀会にも出席。 昔なじみの先輩や同級生お父さんお母さん方、やはり故郷は良いものだと感心しながらご挨拶。

 月日の流れを感じながら自分の目標に向かって成長している娘(野々香)のことが気になる。(親として元気に頑張って成長していくことを願ってやまない)

 今年で南極観測から50年を迎えた。それを記念して宇宙飛行士の毛利衛さんらが昭和基地に向かうことになっている。この半世紀がまさに戦後日本復興の時代であり、日本発展の時代でもあった。世界の中の日本から、世界に責任を持つ日本へと華麗なる前進の半世紀であった。

 今年はまた、日本国憲法施行から60周年の年にもあたる。何かと節目の年に統一地方選、参議院選あるいは・・・・・・・・・・・・総選挙が?といわれるように、大きな選挙が行われる事は時代の変革を予期するものと受け止めて対応していきたい。
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2007年01月02日

現場主義(2007年 1月 2日)

 今日も朝から挨拶回り。元日から町内会の総会や農業関係の実行組合の総会など、新年会に出席をさせていただいた。毎年の恒例とは言え、こうやってご案内を頂いていることは、別の意味からも有難いことである。(特に選挙のある年は・・・・・・!)

 農政関係は特に平成19年度から品目横断的安定対策が開始される。国と担い手生産者等が直接加入の申請手続きを行うことになる。

 つまり、一体的に担い手育成を一元化することになる。また、新年度産米から農業者、農業団体が主体となる新たな米の需給調整システムに移行することが決定された。

 地域の水田農業の構造改革が進められることになり、農家の方々はてんてこまいの状況である。色々と現場の話も伺った。勉強になる。政治はあくまでも理想を求めつつも現場主義が大事なことを痛感させられた

 韓非子(中国の法家思想家)の書物に「家計」という言葉がある。「家計小談、以具数言・・・・・・」。家庭の茶飯事のようにささやかないことや、細かい数字のことを言ったりすると、そんな家計のこと等は小さなことだ、気にすることはないと思われるかもしれない。ただ、天下統一のためにはわだかまりなく聞く耳を持たなければならない・・・・・。

 紀元前250年ほど前、秦の始皇帝に対して韓非子がものを申した場面でのこと、「一つひとつの家計は確かに小さい。ただ、その存在や営みに思いを巡らさないと国は治められない」有史以来この教訓は今も生きているし、かわらないものである。
 政治は机の上ではなく、現場で行われているものである
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2007年01月01日

一年の計(2007年1月1日)

 なやみはつきねんだなぁ
      生きているんだもの=@ 相田 みつを


 迷い生死は仏家の調度なり『正法眼蔵・行仏の威儀』道元禅師の言葉である(曹洞宗の開祖)。川端康成氏がノーベル文学賞を授賞された時に「日本人あるいは、日本を春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬ゆき冴えて涼しかりけ=vと道元禅師の言葉を引用されて挨拶をされたことはあまりにも有名な話である。

 生死というのは、この場合は人間の迷いのことである。
 迷うというのは、仏道を修行するもの(仏家)にとっては、日常生活の調度品、道具のようなものである。というのである。道具だから使うのは、こっち、つまり、自分である。反対に道具に使われたらダメである。

 結論的には迷いに振り回されないで迷いを使ってゆけ、ということになるのだ。

 煩悩無尽(ぼんのうむじん)迷いは尽きないといわれます。しかし、煩悩を離れて人間の生活はありません。尽きることのない煩悩をどう扱い、どう処理をしていくか・・・・。それが毎日の生活である。

 新しい年を迎え今年こそは≠ニいう覚悟で皆さんも初春をお迎えのことと思います。
 元旦に決めたことはやり抜く気持ちで過ごしたいものである。
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