2006年11月10日

牛タン弁当(2006年11月10日)

 たわわに実った柿の実が冬の柔らかな朝日に光る、遠くの山々は頭に薄っすらと白い帽子をかぶり初めている。日本の初冬の山里を眺めながら一路新幹線で東京へ。第六回都道府県議会議員研究交流大会が千代田区平河町の都市センターホテルで開催される。それに出席する為である。テーマは自治体をどう変えるのか≠アれからの地方議会のあり方についての研究大会である。

 「官から民」への構造改革は、民間経済を活性化させる一方で地方の様々な「格差」を生じさせた。これからの日本の政治は強者の論理ではなく「弱者」の視点に立って、その論理でつくり直す必要がある。特に生活を守る、地方政治の中心はそこになるのではないか。・・・・・佐々木 信氏(中央大学大学院経済学教授)の話しである。

 日本の行政は3分の2の自治体(宮城県、仙台市等)によって担われている。これだけ地方の活動量が大きな国はカナダと日本ぐらいだと言われている。その中で特に予算や条例、政策を決める地方議会のあり方が問題となる。

 なぜなら、地方議会が自治体活動の基本的な意思決定者だからである・・・・・皆さん、このことをよく理解してください! 地方議員は現在、都道府県、区市町村を合わせて45,000人いる非常勤の特別職公務員として、地域の世話役から政策決定まで幅広く活動している。議員の数が多い、報酬面ではどうか、条例提案が少ない、住民の意見を聞かないなど様々な批判もある。

 しかし、大事なことは自己決定、自己責任を求められるような地方政治の中心は議会であるということである。

 2000年の分権改革で地方の権限は増している(まだまだ足りない)。これまでの自治体は国の下請け機関のように自治体業務の70%〜80%を国の機関委任事務として行ってきた。大臣の地方機関として首長(知事、市長等)を位置づけ、国の業務を執行委任するという機関委任事務制度があったからである。そういう中で地方の議会は審議権も条例制定権も予算の減額修正することができなかった。
地方において議会は極端に言えば何の力も無い『脇役』に過ぎなかった。

 分権改革でこの制度は全廃された。帰りの新幹線の中でこばやしの牛タン弁当を買った。紐を引張って約7〜8分、ホッカホカのご飯が食べられるう〜ん≠、まい! 誰が考えたのだろう、牛タン弁当を食べながら夜のとばりが落ちた車窓を眺め、これからは地方から日本の政治を変える試金石となるということを確信した。
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2006年11月09日

夷険一節(いけんいっせつ)(2006年11月9日)

 耳馴れない言葉であるが、自分の運命が平穏であろうとまた、険しく厳しいものであろうと自らの責任においてその職責を全うするということの意味である。

 先日、小泉前総理が小泉チルドレンと言われる人たちに「政治家は選挙ごとに使い捨てされることを覚悟しないといけない。甘えてはダメだ」の発言が報道によりクローズアップされた。「使い捨・・・・・・・」?
どういうことだろうか。「選挙に落ちたら政治家はただの人以下」とよく言いふらされた言葉である。

 しかし、一方では「落選したらただの人って言うが、あの言葉は間違っている。会社経営してる社長と名のつく人だって会社が潰れりゃただの人だ」と言っておられた中小企業の社長もいた。

 確かに私達は4年に一度の洗礼を受ける。確かに「甘えやゆるみは」許されない。一歩から全力投球の真剣勝負である。チルドレンと言われる方々の政治活動とはどういうものなんだろうか?信念や理念も踏まえて、一期だから、まだ新人だからと言う政治家がいる。甘えも甚だしい!「努力を誉めてもらえるのは子供。大人は努力の結果を求められる」という格言があった。その通りである。

 だからこそ真剣勝負の日々努力ではないでしょうか。 パフォーマンスして「活動してます、努力してます」とアピールするのではなく、努力とは目に見えないもであるからこそ、例え険しい道であっても自分を犠牲にしてでも日々努力なのである。『頑張ります!努力します!』だけでは政治家は決してダメだということを肝に命じていきたい。
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2006年11月08日

米中間選挙(2006年11月8日)

 初冠雪のたよりが聞かれる中で、海の向こうでは熱い戦いの結果が報道された。米中間選挙は上院が全議席の三分の一にあたる33議席、下院は全435議席が改選された。

 中間選挙の最大の争点はイラク政策である。民主党は上院、下院でも過半数を奪回し、共和党が惨敗した。イラク政策の失敗が明白であり、選挙結果が出た以上、当然の結果といえば結果である。

 しかし、未だ虚偽の理由を付けて戦争を開始した理由が理解できない。いかにして撤退するのか?12年間続いてきた米共和党の議会支配が崩れ、任期が残り2年となったブッシュ政権。政権内部ではイラクからの撤退に向けて真剣に検討されることになると思います、しかし、実際上は内乱状態に近いイラク国内の情勢を踏まえれば、簡単には撤兵ができないジレンマもあると思う。

 撤兵ができない状態のまま、米軍兵士が死亡していく現状では国民にとってはやはり、やりきれない気持ちだと思う。今日の選挙結果がどうイラク政策に影響がでるのか注目していきたいと思います。

 当面、米国経済、株式市場等、為替市場での影響は殆どないと言われております。その一方で米中蜜月時代の到来と言われ、中国が国際的な政治、経済面での発言が増し、“米国に次ぐ超大国への道を歩み始めた”と言われております。「こうした世界の変化をそろそろ私達日本人も気づかなければならない」

 米中間選挙の結果は米追従の日本の立場も微妙にし、国際社会への大いなる中国の台頭も意味する。
 
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2006年11月07日

烏兎怱怱(うとそうそう)(2006年11月7日)

 “光陰矢の如し”(こういんやのごとし)月日が流れるのは早いという意味である。烏兎怱怱(うとそうそう)とも言われる。私の年頃(働き盛り)になると、鳥飛兎走(うひとそ)歳月がたつのが慌しく速く感じるものだ。今年も残すところ約53日である。

 振り返ることは、正直、私自身あまり好きではないが、昨年10月23日の補選で皆様にまた活躍の場を与えて頂き、一心不乱にただひたすら全力投球した一年でありました。(自分自身ではそのように思って納得している)

 人生は山あり谷ありとは言われるが一つ山を越えたなぁ・・・・と思うと、また新たな山が待ちかまえている。

 中学時代の卒業文集の一コマに水戸黄門の主題歌「人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る〜。 歩いていくんだしっかりと、自分の道を踏みしめて」と書いたことを思い出した。

 昨年はいろいろな事を考えさせられ、勉強した一年であった。落選し党を離れ無所属になり、別れがあり、また新たな出会いがある。足を止めていることはできない、ひたすら歩かなくては・・・・と!

 一軒一軒のご挨拶回り、人の暖かさ、ぬくもりを感じながら『人間は最後、人の暖かさに心動かされる』ものだと実感した。長く政治活動をされている方の中には知らぬ間にこの暖かさを忘れてしまい、自分の我と欲だけを追い求め、真の政治を見失っている方もいる。

 私は皆様から受けた暖かいお心をお守りにして、皆様への恩返しを政治の場で!! 決して自分自身を見失わず、皆様、おひとりお一人の為に日差しの弱い方々に日を当てるという強い志で自分の信念の道を踏みしめて行こうと、高砂駅前で朝の街頭演説しながら心に誓った。“立冬の朝”
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2006年11月06日

天然自然(2006年11月6日)

 青葉通りの道沿いに並ぶ木々、銀杏の木が紅葉して、はかなげに木の上を落ち葉が舞散ってとても綺麗だった。思わず「まっかだな、まっかだな、つたの葉っぱがまっかだな、もみじの葉っぱもまっかだな・・・・」の歌詞を車を運転しながらつい口ずさんでしまった。晩秋の良い風景である。

 四季折々の中で仙台の街並み、けあき並木を一層際立たせる。 ふと「自然には決して不自然なものは無い。調和を崩すのはいつも人間だ」の一説を思い出した。最近、毎日のようにニュースの中で、猿や鹿、そして先週は片平丁で熊出没等。

 一昔前までは、熊は奥羽山脈の山の中に生育し、人間がきの子取りや山菜取りに出かけて山に入る時、熊に出くわさぬよう「熊除け」と言われるような鈴を持参し、防護をしたものであるが、しかし今は住宅地に、幼稚園の園庭に熊や猿、イノシシまでもが出る!

 人間の手で山を開拓し、そういった野生動物の居場所がなくなってきた。動物達は餌を求めて人里に。農作物の被害だけではなく、人間と野生動物の共存共栄を考えていくことが必要ではないだろうか。 秋は秋の風情でロマンチックである。
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2006年11月05日

(2006年11月5日)

 NHKの討論の中で教育基本法の改定をするにあたって「どうのこうの」と言った話しを聞いた。この人達は今、教育現場や地域社会のコミュニティーがどうなっているのかを認識しているのか大いに疑問を感じた。

 今、幼稚園から大学まで、子供一人にかかる教育費は平均2〜3,000万円である。一方では児童相談所には年間30,000件を超える児童虐待の相談が寄せられている。 そしてこの数値はどちらも年々増えている。今後どうなるのであろうか!こういった現状をどうとらえているのだろうか?


 親に殺される子供たち

 児童への虐待が深刻化している。虐待行為は年々エスカレートしてきているようで、2004年に栃木県小山市で幼い兄弟が実父の知人に殺された事件では、児童虐待事件として初めての死刑判決(一審)が出た。

 2004年度に全国の児童相談所で対応した相談件数は前年度に比べて24%増の32,979件にのぼり、児童虐待防止法が施行される前年の1999年度と比較すると3倍近く増加している。

 ちなみに虐待内容の内訳(全国児童相談所長会調査 複数回答有)は身体的な虐待78%、ネグレクト(養育放棄)73%、心理的虐待50%、性的虐待32%である。

 2004年に虐待で子供を死亡させた事件は49件にのぼった。うち12件は児童相談所や警察などの関係機関が虐待の事実をあらかじめ把握していたことが警察庁の調べで分かった。なかでも児童相談所は12件全てに関与していたのだ。虐待の可能性を予測しながら一時保護の措置が取られずに残念ながら死亡した事例は5件もあった。

 虐待されて育った子供たちは、近い将来どうなるのか。心身の発達が遅れ、表情が之しくなるばかりではない。学校集団に入ると親と同一化して弱い子供に暴力を振ったり、反対に暴力を受けている状態にいないと存在感を自覚できなかったりするケースが出てくる。

 いずれにせよ虐待を受けた子供は親の愛情を注がれていないために、自己を否定してしまう。『愛国心も大事かもしれないが、東京の政治家はこの状況を把握しているのだろうか?』

 教育基本法の改正より、先にやることがあるのではないだろうか
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2006年11月04日

夢を語る(2006年11月4日)

 クリーン作戦『枡江の森』与兵衛沼の清掃行事に参加した。

 一年生の男の子と母親の話に聞き入ってしまった。この枡江の森には「妖精がいてね!間もなく雪のたよりを伝えてくれるんだよ」「サンタさんは、その仲間なんだよ」「その前に木枯らしさんが吹いて清掃をしてくれるんだよ」と誠に空想的なステキな話しをお母さんにしている。
 
 『その年齢が幾つかについては、その子供によって違うだろう。ともかくある瞬間にふとある疑いが生じる。この瞬間こそがまさに知ることと信じる事の質的な違いに気づく時である』

 今まで在ると信じていたものが、実は単なる思い込みや周囲の大人たちから騙されていたに過ぎないと知る時こそ、誰もが経験を同じくしていることであるが、信じることと知ることの瞬間である。

 ある幼児心理学の理念を紹介してみたい。それは、たとえいつの日にかそれらが存在しないと知るようになろうとも、やはり子供には神やサンタクロースや天使がいる、と子供のときに教えなければならないというのである。なぜなら、たとえ大きくなってそれらが皆ウソだと分かっても、子供のときに神やサンタクロースがいると思っていた心の片隅、その心の一塊は大人になっても、ちゃんと一つの場所を占めるようになるというのである。

 だからこそ子供のときにそのような心の部屋を持たないで育つと大人になっても結局その心の部屋を持たないまま過ごしてしまう。同じ生き方でもより多くの部屋を持って生きている人の方が空想力に富み、夢があり、いわゆる豊かな心を持つ人になることになる、ということがいわれている。会話の中で夢を語れることは素晴らしいことだ!子供が夢のある話を大いに語れる環境をつっくていく事が大人の責務だ。
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2006年11月03日

県治功労(2006年11月3日)

 “菊薫る候”と言われるように地域の文化祭やイベントに参加すると地元の方に丹誠に育てられた菊の花がこれまた美しい。このたび文化の日に県治功労賞を受賞することになった。
 
 昨年は衆議院補欠選挙での落選、そして10月の県議会の補欠選挙では、約20,000票余りの投票を頂き再起動することができた。これまで11年間の議員生活の中で変わらぬご支援を頂いた皆さんのお陰様である。

 しかし、この栄誉を受けるにあたってためらいもあった。議員として活動をして歳費も頂いており、市民の皆さんの為働くのはあたり前である。いつも叙勲の時に話題に上がるが戴いたというより、皆さんが頂いたという気持ちで納得するしかないと思った。

 かっこつける訳ではないが授賞式にはそういう心の葛藤から欠席をした。
「自民党に戻ったほうがいいんじゃないの?」「自民党じゃないと仕事ができない」「自民党でなければ応援できない!」と年配の方々からそんなことを言われることがあるが、私自身は自民党の為に政治活動をしているのではないし、首長と議会はそれぞれの選挙で選ばれている2元制である。与党も野党も無い。そんなことは、あたり前であるがそう理解されない方がいることは残念である。逆に女性の方々や若い人からは、菊地文博個人が好きだからといった声も頂く大変ありがたい。

 私の政治人生は汗水垂らして働く県民の皆様と共に歩んできたし、それを信条としてきた。私のこれまでの議員人生は決して平坦なものではなかったが、この基本だけは貫いてきたつもりである。私の願いは一人ひとりが普通の努力をすれば豊かな生活が享受できる社会を実現することであり、それこそが私の使命だと思っている。

 今、閉寒感が漂い多くの市民の負担が増す中でこの状況を打破するには、勇気と思い切った行動力で、新たなる社会改革をしていかなければならないと決意した。
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2006年11月02日

議論(2006年11月2日)

 鶴ヶ谷団地(仙台市宮城野区)の入口に宮城県の消防学校がある。昭和40年頃に建てられた学校であるが、建物や寄宿舎が老朽化してきているし、山の斜面に建てられている。

 また都市化、高層化、広域化してきている現代において、その現場に即応できる防災教育や救急救命の対応が求められるようになってきた。

 そんな理由から仙台市ガス局北側にある県衛生学院の跡地に移転することが決定している。そんなこともあり総務企画委員会の視察として訪れた。

 この総務企画委員会には県議会の論客が多い。いつも委員会質疑では『突っ込んだ』議論となる。私自身も議論は得意とするところで、ついつい『質疑がきつくなることがある』

 しかし日本社会での激論は人間関係含めてなかなか難しい。(皆さんも、ちょっと言い過ぎてしまったなど後になって反省する場合もありますよね)もちろん議会であるから(議論をするための議論はしないように気お付けている)大いに議論はしなければならない。

 そんな時に『人の悪を攻めるは、太(はなは)だ厳なることなかれ』を思い出す。人の欠点を批判する時は、あまり厳しくないほうがよいと言うのである。その人がその批判を受け入れられるかどうかをまず考えることだ。他人を批判したり忠告を与えたりするのは難しいことですが、言い方が厳格すぎて、相手が反発を覚えるようでは逆効果になる(確かに!)。
そうかといって奥歯にものの挟まったような言い方でもいけない、相手がそういったことを受け入れられる程度を考えてやるのが一番と言う意味だ。

 確かに意味としてはよく分かるがこれが本当にむずかしい。
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2006年11月01日

雨奇晴好(うきせいこう)(2006年11月1日)

 「せっかく行ったのに見られなかった。という気持ちが後々まで残るような、そんな旅行をしてはいけないよ。そのためにはどうすればいいか分かるかい?」そこで四字熟語を紹介された。「雨奇晴好」です。これは逆にして「晴好雨奇」ともいいます。実はどちらでもいいそうです。

 この言葉は北宋の詩人蘇軾のつっくた詩「湖上に飲(うたげせ)し初め晴れ後雨」に出てくる一節です。 晴れるもよいし雨もまた奇なり・・・・と言うわけである。ここで奇と言うのは普段の様子と違って素晴らしいといった意味です。 ひょっとすると、この言葉は無理に聞こえるかもしれない。

 旅行をするとき、私達はたいてい晴れてほしいと願っている。晴れた美しい景観を眺めたい。しかし、晴の日ばかりではない。晴れてほしいと願っていて、それが雨の日にぶつかった<残念!><いやだなぁ〜><損したなや>と思う。そう思った後で気を取り直してでも、雨の景色だってまんざら捨てたものではない、と考えるのがよいということです。

 なるほど私もその考え方をそれなりに評価します。<あぁ〜あ、損した><山が見られないのであれば行くんじゃなかった・・・・>と思い続けるよりはよっぽどましである。

 「雨は風情がある。晴もまたよし」のほうが確かによい考えだ。年配の親子(祖母と母)の会話を聞きながら、さすがに96歳の祖母の話に耳をかたむけた。
posted by きくちふみひろ at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする